私の住むところは、
宮城県の中でも山沿いの地域で、
地震の被害も、海沿いの街に比べれば、
とても少ないほうでした。
地震が起こった瞬間は職場にいて、
製図室で図面とにらめっこをしていた時。
突然、緊急地震速報が鳴って、
また何日か前の震度4くらいの地震かな?と思ったら、
だんだん揺れが激しくなってきて、
これはやばいと思い、製図室を飛び出しました。
製図室の外では同じ階の職員さんがざわざわしていて、
その間も激しい揺れは収まらない状態。
次の瞬間、後ろからすごい大きな音がして、
私がちょっと前まで座っていた(製図室内の)椅子が、
上から降ってくる膨大な図面や書類などの荷物に潰されて、
原形をとどめていませんでした。
怖かった。
その椅子が何十秒の違いで私だったかと思うと、
今でもとても怖いです。
幸い、職場の1階から3階まで耐震構造になっていたけれど、
それでもものすごい揺れはあったし、
耐震になっていなかった4・5階に居た人達は、
「冗談じゃなく死を覚悟した。」と言っていました。
みんな恐怖のあまり、男女関係なく涙を流していたし、
揺れが激しくて、腰を抜かして動けない人達がたくさん居ました。
外に避難しても、余震は一向に収まらない状態。
「今日はもう通常業務は出来ないから自宅待機していて」
と言われ、震える手でハンドルを握り、自宅まで運転しましたが、
その間も余震は続いていて、
道路から見える電信柱がぐわんぐわん揺れていたり、
地割れしたコンクリートがたくさんあって、
しかも停電で信号機が付いていないので、
いつもは使わない田舎道を使って帰ってきました。
家についた瞬間、
その惨状に言葉を失いました。
瓦は半分以上が庭に落ちていて、
おばあちゃんの車は窓ガラスや天井部分が瓦でやられ、
割れて、ひしゃげていました。
家の中は足の踏み場がないほどに物が散乱していて、
その日の夜は家族みんなで車中泊をしました。
次の日が土曜で仕事が休みだったこともあり、
母と茶の間の一部屋だけを一日がかりで片付け、
その晩からは家族皆で体を寄せ合い眠りました。
停電、断水が一週間続いて、
ろうそくの明かりが本当に温かかった。
月曜日からは職場で災害復旧の仕事をし、
携帯も充電させてもらえたので、
知り合いに連絡を取ることもできました。
でも、それが故に悲しい現実をも目の当たりにして、
言葉にならない気持ちがこみあげてきました。
この日記に登場している、親友のお兄さんや、
彼氏の幼馴染で、それまで面識のなかった私まで結婚式に呼んでくれた、
友達夫婦の奥さんと7か月の赤ちゃんが、
行方不明だと知らされました。
その後お兄さんと赤ちゃんは遺体で発見されました。
奥さんは今だ発見されていません。
私の親戚が全員無事だったぶん、
なんだかとても申し訳ない気持ちになったというか。
なんと言葉をかけてあげればいいのかが分からず、
ただただ涙が溢れました。
私は毎日の生活を送ることができる家があり、
家族も全員無事です。
支えてくれる彼、友人、職場の方々。
心配してくださったダイアリーのみなさんがいる。
それがどれだけ幸せでかけがえのないことなんだろう。
この気持ちや起こったことだけは、
絶対に一生、忘れてはいけないこと。
今日も空ではヘリコプターが何度も通る音だけが聞こえています。
宮城県の中でも山沿いの地域で、
地震の被害も、海沿いの街に比べれば、
とても少ないほうでした。
地震が起こった瞬間は職場にいて、
製図室で図面とにらめっこをしていた時。
突然、緊急地震速報が鳴って、
また何日か前の震度4くらいの地震かな?と思ったら、
だんだん揺れが激しくなってきて、
これはやばいと思い、製図室を飛び出しました。
製図室の外では同じ階の職員さんがざわざわしていて、
その間も激しい揺れは収まらない状態。
次の瞬間、後ろからすごい大きな音がして、
私がちょっと前まで座っていた(製図室内の)椅子が、
上から降ってくる膨大な図面や書類などの荷物に潰されて、
原形をとどめていませんでした。
怖かった。
その椅子が何十秒の違いで私だったかと思うと、
今でもとても怖いです。
幸い、職場の1階から3階まで耐震構造になっていたけれど、
それでもものすごい揺れはあったし、
耐震になっていなかった4・5階に居た人達は、
「冗談じゃなく死を覚悟した。」と言っていました。
みんな恐怖のあまり、男女関係なく涙を流していたし、
揺れが激しくて、腰を抜かして動けない人達がたくさん居ました。
外に避難しても、余震は一向に収まらない状態。
「今日はもう通常業務は出来ないから自宅待機していて」
と言われ、震える手でハンドルを握り、自宅まで運転しましたが、
その間も余震は続いていて、
道路から見える電信柱がぐわんぐわん揺れていたり、
地割れしたコンクリートがたくさんあって、
しかも停電で信号機が付いていないので、
いつもは使わない田舎道を使って帰ってきました。
家についた瞬間、
その惨状に言葉を失いました。
瓦は半分以上が庭に落ちていて、
おばあちゃんの車は窓ガラスや天井部分が瓦でやられ、
割れて、ひしゃげていました。
家の中は足の踏み場がないほどに物が散乱していて、
その日の夜は家族みんなで車中泊をしました。
次の日が土曜で仕事が休みだったこともあり、
母と茶の間の一部屋だけを一日がかりで片付け、
その晩からは家族皆で体を寄せ合い眠りました。
停電、断水が一週間続いて、
ろうそくの明かりが本当に温かかった。
月曜日からは職場で災害復旧の仕事をし、
携帯も充電させてもらえたので、
知り合いに連絡を取ることもできました。
でも、それが故に悲しい現実をも目の当たりにして、
言葉にならない気持ちがこみあげてきました。
この日記に登場している、親友のお兄さんや、
彼氏の幼馴染で、それまで面識のなかった私まで結婚式に呼んでくれた、
友達夫婦の奥さんと7か月の赤ちゃんが、
行方不明だと知らされました。
その後お兄さんと赤ちゃんは遺体で発見されました。
奥さんは今だ発見されていません。
私の親戚が全員無事だったぶん、
なんだかとても申し訳ない気持ちになったというか。
なんと言葉をかけてあげればいいのかが分からず、
ただただ涙が溢れました。
私は毎日の生活を送ることができる家があり、
家族も全員無事です。
支えてくれる彼、友人、職場の方々。
心配してくださったダイアリーのみなさんがいる。
それがどれだけ幸せでかけがえのないことなんだろう。
この気持ちや起こったことだけは、
絶対に一生、忘れてはいけないこと。
今日も空ではヘリコプターが何度も通る音だけが聞こえています。
コメント
どうしてこんなに強く生きることが出来るのか。
自分が逆の立場だったらと思うと、。
言葉になりません。
本当に、なんて言えばいいのか、わかりません。。。
きょんさんにおかれましては
ご無事で本当に良かった。
ただ
やはり何とも言えませんね。
苦しいですね。
強くあられる方々も
強くなければならない状況があることを
切なく思います。
日記にして下さり
有難うございました。
引き続き、ご無事をお祈りいたします。
うちの実家・家族は津波に巻き込まれずに済んで、申し訳ない気持ちでいっぱいで、テレビや新聞を見るたび泣いていました。
いろいろありすぎて、うまく頭の中が整理できてないのですが。
ワタシたちができることって、元通りの生活をおくることだと思います。
一歩一歩、進んでいきましょう。
だいじょうぶです、きっと。
ピーさんの気持ち、わかります。
私も同じ県に住んでいながら、
ニュースでしか海沿いの街の状況を見ることが出来ていないので、
実際、まだ何が起こったのか、すべてを受け入れることが出来ていません。
遠い国の出来ごとのような感覚が、正直、まだ抜けません。
ゆかりさん☆
コメントありがとうございます。
嬉しいです、本当に。
強くあろうと思うことが、
生きることへの希望へと繋がる現実もあるのかもしれないと思うと。
切なくなりますね。
LILYさんがご無事で本当に良かったです。
そうですよね。
元通りの生活を送り続けることが、
とても大事なことですよね。
助かった私達だから出来ることって、
どんなに小さなことでも、きっとありますよね。
励ましの言葉、有り難いです。
一緒に一歩一歩、進んでいきましょう。
地震を体験しなかった身としては、
身としては、改めて自分の身のあり方について
考えさせられました
絶対思わないで。
私はきょんちゃんと親戚の方々が全員無事で、
心から良かったって思う。そして絶対、どんな時だって
命がいちばん大事なんだってこと、とても大切なことに
気づかせてくれて、ありがとう。
備忘録として書いた日記で、
ありがとう、といわれるなんて、
こちらこそありがとうございます。
わたしは逆におさるさんの日記を読ませてもらって、
海外に行ったことがない身として、とても有り難いです。
広い視野を持つおさるさんがうらやましいです。
お互いの日記がお互いの心を動かした瞬間があったとしたら、
それって本当にすごいことですよね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
心配をおかけしてごめんなさい。
私の日記が、キラキラ☆さんの中に、
何か光のようなものとして入っていってくれたとしたら、
それって、奇跡みたいなものだと思います。
おこがましいけれど、
とっても幸せです。